【ジーコの想い】相手の気持ちをくむ優しき「FWの教科書」アルシンド

2014.12.03


ジーコ61歳、アルシンド47歳。師弟関係はいまも継続中だ((C)ZICONAREDE)【拡大】

 1993年のJリーグ開幕に向けて、ジーコが鹿島の助っ人第1号として声をかけたのがアルシンドだった。独特のヘアスタイルと活躍もあり、後に「トモダチナラ、アタリマエ〜」のCMが話題となり、日本一有名な外国人サッカー選手になった。

 他のJクラブが名のある外国人選手を獲得したのに対し、ジーコは日本では全く無名のアルシンドを鹿島の初代助っ人として呼んだ。これにはもちろん理由がある。

 1990年代前半、アルシンドは、ジーコが所属していた南米最大のクラブ、フラメンゴで右のウイング(今はこのポジションは存在しない)だった。当時チームにはスーパースターのレナト・ガウーショがおり、若い世代の代表にも選出されていたアルシンドは控えとしてくすぶっていたのだ。ジーコは「あいつの才能、特に縦への馬力は絶対に日本の鹿島で生かすことができる」と何度も話していた。

 アルシンドが鹿島に合流したのはJリーグ開幕前のチームの欧州合宿だ。衝撃だったのはやはり、あのヘアスタイルである。頭のテッペンが丸く禿げ、襟足の長い髪型。「落ち武者」をマネしているのかと思ったほどで、ついこう言ってしまった。「アンチャン、そんな妙ちくりんな頭じゃ、日本の入管で入国を拒否されるぜ」

 すると、あのアルシンドが大慌て。すぐに理髪店を探したが、イタリアの合宿所付近では見つからず、そのまま来日することに。しかし世の中、何が起きるかわからない。あのヘアスタイルが日本中で大ブレークしてしまうのだから。

 Jリーグの歴史の中で、相当数の助っ人外国人選手がプレーし、現在も活躍しているが、アルシンドのような資質をもった選手は稀だ。来日初年度から見せた、速さ、強さ、強引さ、そしてメンタルの切り替え。「FWの教科書」のような選手だった。

 日本への愛情にも驚かされた。2011年の東日本大震災のときに電話があり、「日本が大好きだったから、いてもたってもいられない。本当に日本は大丈夫か」と聞かれた。いち早くブラジルでのチャリティーマッチの実現に奔走したのは、ジーコではなくアルシンドだった。

 もちろん、ジーコからも震災直後、「日本は本当に復活できるのか」と涙ながらに気にかけてくれる電話をもらった。

 ジーコはアルシンドを「他人の気持ちをくむ、優しい男」と評する。あれから3年たったいまも、震災の話題になるとアルシンドの眼には涙があふれ出す。「トモダチナラ、アタリマエ〜」。このフレーズこそ、2人の日本に対する想いなのだ。

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「PENSAMENTO POSITIVO」(ペンサメント ポジティーボ)はポルトガル語で「ポジティブシンキング」「頑張れ」の意。ジーコがよく色紙に書く言葉の1つ

 

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