【ジーコの想い】ジーコの前ではまるで少年のようだったセナ

2014.12.10


2人の対談は初対面ではないような雰囲気だった(C)ZICONAREDE【拡大】

 ブラジルの3大スポーツ選手といえば、ペレ、ジーコ、セナだ。サンパウロ市内からリオデジャイロを結ぶ州道70号線には「アイルトン・セナ道路」がある。セナはペレやジーコよりも「英雄」と言うブラジル人は多い。

 1993年、ブラジルとの長年の付き合いから願ってもない機会を得た。ジーコとセナの対談に同席させてもらったのだ。都内のホテルの控室でブラジルの2大英雄を目の当たりにした。まるで夢を見ているようだった。

 2人はこの日が初対面。ジーコが開口一番、「調子はどうだい?」と声をかけると、「はい、全てOKですよ」とセナ。他愛もない会話を緊張しながら聞いていると、いきなりジーコは「セナ、こいつがオレの通訳、スズキだ」と紹介してくれた。挨拶をかわして、セナに握手を求められたときは、宙に浮いているような気分だった。

 ジーコは「セナと初めてあったのが日本だということが感慨深い。オレは鹿島でそして彼はF1のホンダでひとつの時代をつくったわけだから、他人ではない気がするんだ」と話していた。

 当時セナは33歳。それまでクールな印象を放っていたが、7歳年上のジーコと話す様子は、憧れの先輩に接している少年のように感じられた。連日、追いかけられているカメラの前では絶対に見せない“素”の表情を見せた。ジーコの対談には何度も同席したが、特別な国である日本での2人のそれは最もいい雰囲気で、忘れられないものとなった。

 その初対面から1年もたたない94年5月1日、セナは突然逝ってしまった。イタリア・イモラサーキットで行われたサンマリノGP決勝でクラッシュ事故に見舞われた。

 当時、私は鹿島とブラジル代表MFレオナルドの契約交渉のため、スペインの空港にいた。「セナが事故死」。テレビモニターを見たとき、周囲の人に何度も確認した。言葉には言い表せない、まるで魂が抜き取られたような感覚に襲われた。

 セナは多くの人たちの中に永遠に生き続けるだろうが、その肉体が我々の前から消えてしまうとは、なんと寂しいことかと思わずにはいられなかった。

 セナの事故死についてジーコは言葉を選びながら、「英雄はこんな形で死んじゃいけないんだ。絶対ダメなんだ」とつぶやくように言った。その目頭は真っ赤に腫れていた。 (元日本代表通訳 鈴木國弘)

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「PENSAMENTO POSITIVO」(ペンサメント ポジティーボ)はポルトガル語で「ポジティブシンキング」「頑張れ」の意。ジーコがよく色紙に書く言葉の1つ

 

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