−−嗚呼!!キネマの天地−−
さらば大船撮影所(4)

新木場撮影所で新たな才能花開くか

 久々に活気が戻った。6月26日に行われた大船撮影所のお別れイベント。OBら関係者約700人が思い出話に花を咲かせたり、記念写真を撮ったり、思い思いの方法で「キネマの天地」に別れを告げていた。

 そのなかで、SKD(松竹少女歌劇団)から映画に転じた女優、倍賞千恵子(59)は喪服を思わせるような真っ黒な衣装で悲しげな表情を崩さなかった。

 「自分の故郷。温かくて、こんなに居心地がよくていいのかと思っていた。もう一回、ここで勉強してみたかった」と言葉を詰まらせた。「男はつらいよ」シリーズなど監督、山田洋次作品の大常連として大船で仕事をしてきた倍賞としては、師の山田が抱える複雑な思いをそのまま受け継いでいる。

 撮影所の時代は終わった、という意見もある。「大プロデューサーがいなくなって、撮影所の時代は終わった」というのは大船出身の脚本家・映画監督の吉田剛(65)。

 「城戸(四郎、後述)さんがいなくなって、大船の役割は事実上終わった。撮影所を盛り立てる人がいないと、昔のようにはならんでしょう」と冷静だ。長年、現場でスタッフの仕事ぶりをつぶさに見てきただけに、次の撮影所稼働までのブランクが心配のよう。「撮影所の財産であるスタッフを育成することを放棄した上に、2年間の空白は大きい」と表情も厳しい。

 その半面、三国連太郎(77)のように、「僕はあまりさみしいとは思わないんだ。若い経営者が自分の映画作りの夢を思うようにやっていくのは、映画界の行き帰りにつながると思う」と、新撮影所に期待を寄せる意見もある。松竹に入社しながら撮影所を飛び出し、破天荒な役者人生を歩んできた三国は、あくまで外からの視点なのだ。「いいものも、悪いものも、アカをいっぱいしょってきた。それをここらで流すのも悪くないでしょ」と屈託がない。

 三国から「若い経営者」と言われた松竹の迫本淳一副社長(47)は、「伝統は、今までの形をまったくそのまま踏襲しながら築かれるものではない。情熱と培ってきた技術、資源は大切にしなければと思うが、新しい物には、どんどん挑戦しないといけない」と東京・新木場のスタジオ建設を中心となって推し進めている。

 祖父は松竹映画を確立した不世出の大プロデューサーで元松竹会長の故・城戸。祖父が所長として力を入れた大船の閉鎖には逡巡もあった。「映画学科のある大学を誘致して提携するとか映画館を招へいするとか、さまざまな案を検討し、実際いろいろ動いたけれど、どれも決め手に欠け、売却せざるを得なかった」。が、個人的思いには一切とらわれずに事を進めた自負はあるだけに、結論については揺るぎない自信を持っている。

 2002年末に開所予定の新木場撮影所は、約1万6000平方メートル、5つのステージを持つ、テレビドラマが収益の柱となる新スタジオだ。「たたき台となる案はできている」と迫本は明言するものの、着工予定日や建築計画はまだ未定。

 「スケジュールが明らかにされないと、やっぱり不安」という社員の声も根強いが、「会社のアイデンティティーとして、撮影所を作る道を選んだ。『釣りバカ日誌』シリーズも続行する。今までの大船調も維持しつつ、新しいことにも挑戦と思っている」と語る。

 蒲田から大船に撮影所が移り、小津や木下といった巨匠の才能が開花し、大島や篠田、山田といった才能が育った。新木場が新たな「キネマの天地」と呼ばれるようになったとき、日本映画にまた新たな才能が開花していることを期待したい。

(萩原和也)=敬称略


戻る 追跡TOPへ
ZAKZAK