【ブック】孔子は「惑わず」とは言わなかった 安田登さん

「古代中国の文字から 身体感覚で『論語』読み直す」春秋社

2010.02.26


安田登(能楽師)【拡大】

 孔子が活躍していた時代に使われていた古代中国の文字に戻して「論語」を読み直し、有名な「四十而不惑」にも新しい解釈をしている。「四十にして惑わず」なんて言われただけで敬遠していた論語に親しみが湧いた。

 −−孔子は「四十にして惑わず」とは言わなかった

 「四十、五十となると『自分はこんな人間だ』と人は自分を限定して考えがちですが、孔子は『自分を限定してはいけない』『もっと可能性を広げなきゃいけない』と言ったのではないかと思います」

 −−意味が全く違います

 「現在読まれている『論語』の文字のかなり多くが孔子の時代には使われていません。例えば『惑』という字の下にある『心』は、孔子が生まれる500年前にできた新しい概念で当時は字にもなっていなかった。心をとった『或』は『惑』と古代音が同じで区切るという意味がある。『不惑』ではなく『不或』で読むと“区切らず”ということになります」

 −−心という概念がなかった

 「心の前にあったのは命(めい)という運命とか宿命。例えば海辺に生まれれば船頭になることを昔はそのまま受け入れていた。それがあるとき運命は変えられるのではないかと気付き、人はそのために心を使い始めた。それはポジティブな側面ですが、心が新たな世界を作り出すにつれ、その中に閉じ込められることにもなった」

 −今でいう心の病とかうつ病の始まり

 「そうですね。心の肥大化といいますが、自殺というのも自分の心がさせるもの。現実には生きている人間が自分を殺すわけですから。すべて心が作ったバーチャルな世界だと気付けば、割とどうでもよくなるんじゃないでしょうか」

 −心の病がバーチャルな世界だと気付くには

 「それは論語には書いていない。むしろ禅とかお寺の和尚さんの部門でしょう。論語はそうなったときにいかに楽に過ごせるかという方法論を提起している。それが『礼』なんです」

 −身体感覚で読み解くとは

 「私は学者ではなく役者(能楽師)ですから頭より身体を使う方が得意です。月2回ほど渋谷区の東光寺というお寺で寺子屋を開き、ご住職や参加者の方たちと孔子の時代の文字に直しながら、声に出して読むということもしました。論語は2500年も残っている思想です。身体が納得できなかったら読み方が間違っていると思うんです」(文・菊池麻見 写真・大里直也)

 ■「古代中国の文字から 身体感覚で『論語』読み直す」(安田登著、春秋社、1740円)

 「論語」は中国の春秋時代の思想家、孔子の言行や弟子たちとの問答などが記された書物。日本人の教養や考え方の中心にあった論語の核心を、孔子時代の文字と身体作法の視点から新たに読み解いている。

 ■やすだ・のぼる 1956年生まれ。能楽師(下掛宝生流ワキ方)。大学在学時に中国古代哲学を専攻。その間に斯文会(湯島聖堂)で甲骨文・金文を学んだ。また、身体調整法ロルフィングに精通。能の身体技法をテーマとしたワークショップを開いている。著書は「疲れない体をつくる『和』の身体技法」「ワキから見る能世界」など。

安田登
 

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