「70日以上、1日も休んでいません」部下を激励し続ける連隊長

★桜林美佐「東日本大震災と自衛隊」

2011.05.26

 「只今、帰隊しました!」

 ずぶ濡れになって報告にきた2人に、連隊長は黙って近付いていった。そして、何の言葉もなく、強く抱きしめた。流れるに任せて、涙が流れた。その場にいた者も、皆、黙ってわれを忘れて泣いた。

 聞けば、車ごと津波に流されたが泳いで脱出し、一晩中フェンスにしがみついていたのだという。

 この後、休暇中でまだ行方が分からなかった隊員も次々に無事が確認されていった。しかし、どうしても1人の陸曹と連絡がとれずにいた。

 隊員たちは、現場のどこかでこの隊員と出会えるのではないか、見つけ出せるのではないかと思いながら行方不明者の捜索にあたっていた。

 「車と着衣を発見!」

 数日後、彼がその日乗っていたとみられる車が見つかった。残っていたのは、泥だらけの戦闘服のズボンと半長靴だった。

 「あいつ、着替えて来ようとしたんだ…」

 レンジャー隊員だった彼は地震発生後、すぐに戦闘服に着替え、車で部隊に向かったが、津波に気付き、ズボンと靴を脱いで脱出したに違いない。どこかにたどり着いていてくれ! そう、祈るしかなかった。

 しかし、3月19日、その陸曹は遺体安置所で発見された。

 この震災で家族が亡くなった隊員も少なくない。しかし、それでも不眠不休で気丈に救援活動にあたれるのは、同じ自衛官の、血縁関係とはまた違う強い結びつきがあるからだ。仲間の死は身を切り裂くような傷となった。それは、部下を亡くした指揮官にとっても同じだった。

 「連隊長は毎日現場に来てわれわれを激励してくれます。夜は市役所に入って遅くまで対策会議です。そのまま泊まり込む生活を、もう70日以上続けているんです。1日も休んでいません」

 お国なまりで心配そうに語る隊員たち。連隊長は確か、土佐の出身だが、もはや同郷かどうかは関係なかった。自衛隊という、同じ故郷がある。

 そんな中、沖縄第15旅団の応援部隊が入浴支援に来てくれた。「『チムグクルの湯』と名付けました。心が温まるという意味です」

 説明を受けて、自分たちが風呂に入れるわけじゃないのに、ぐっときた。こんな遠くから来てくれる仲間もいる…。

 第22普通科連隊は、庁舎の正面に殉職した陸曹を悼む横断幕を掲げた。そして、復興に向け力強い前進を誓った。

 辛いことは全て連隊長のひげに託して。

 ■さくらばやし・みさ 1970年、東京生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。震災後、防衛省に加え、被災地を何度も取材した。著書に「海をひらく−知られざる掃海部隊」「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「終わらないラブレター−祖父母たちが語る『もうひとつの戦争体験』」(PHP研究所)など。

 

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