そのB-29の来襲を一掃する希望の光として開発されていたのが「震電」だったのだ。
18気筒2130馬力の大型エンジンで高度8000メートルまで10分40秒で上昇し、最高時速は時速741キロ。B-29が飛ぶさらにその上の高度から、機首にプロペラがない故に搭載可能の、4丁の30ミリ重機銃でB-29を撃墜するという。
終戦間近、もし日本がそのスーパー戦闘機を開発していたら、戦局を打開していたかもしれない。この「ロマン」に戦闘機マニアは震えてしまう。
だが現実はそんなロマンではなかった。調べれば調べるほどに、このロマンの塊は未完成の領域で、実際には離着陸もままならなかった。
設計コンセプトは超先進的であったが、実戦投入にはまだまだ時間がかかったであろうというのが事実らしい。人員から物資にまで困っていた終戦末期の1年間でスーパー戦闘機を完成させるのは、現実として無理があったのだろう。
しかし、その短期間で後世に「幻」とまで伝えられるスーパー戦闘機を形にした、当時の技術者たちの、すべてを賭けた情熱と覚悟がどれ程のものかと想像すると胸が熱くなる。まさに昭和魂だ。
だが同時に、それらはいまだに解決できない日本病のひとつかもしれない。ロマンに突き動かされることが本筋となり、結果が後回しになる。
■大鶴義丹(おおつる・ぎたん) 1968年4月24日生まれ、東京都出身。俳優、小説家、映画監督。88年、映画『首都高速トライアル』で俳優デビュー。90年には『スプラッシュ』で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。YouTube公式チャンネル『大鶴義丹の他力本願』も更新中。
