《アナウンサーの宅飲みがつるし上げられ、コロナ対策長の、コロナ給付金ボッタクリ疑惑》
この2つはまったくレベルの違う話であるが、私はある意味でこの時代を象徴する話題であると感じた。平時から考えると、どちらもとても「奇怪」な話である。10年後に振り返ったとき、この言葉を私はどう受け止めるであろうか。
私がそのときに健康に生きていたとしたら、今の「奇怪」さは、一体何が原因で、誰が犯人だったのかと考えるはずだ。
政府の無策、“マスゴミ”の不安商法、無秩序なSNSなどが、まず浮かぶのは容易に予想できる。だが、その先にある、自らの内にある愚かさを潔く認められるかは疑わしい。
追い詰められているせいで、どのニュースやSNSを見ても、いつも誰かが悪いという話ばかりだ。もちろん、それは私の中で渦巻いている感情であり、誰でもいいから、犯人らしき者をつるし上げたい気持ちは同じ。だが自分のどこが悪いということを考えることは、皆、なかなかできない。このバカげた毎日の原因のひとつに、自分の愚かさもあるはずなのだ。
この地獄じみたコロナ禍のなかで、唯一の「拾い物」があるとしたら、平時において、私たちがずっとごまかし続けて見ないようにしてきたモノと、こうしてやっと対峙(たいじ)する機会を得たことだろう。
■大鶴義丹(おおつる・ぎたん) 1968年4月24日生まれ、東京都出身。俳優、小説家、映画監督。88年、映画『首都高速トライアル』で俳優デビュー。90年には『スプラッシュ』で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。YouTube公式チャンネル『大鶴義丹の他力本願』も更新中。
