徳島といえば甲子園の記憶と記録に深く刻まれたビッグネームが多いことだと感じる。
例えば、板東英二(元・中日)、1958年の選手権で準優勝した徳島商業の剛速球エース。魚津(富山、相手投手は村椿輝雄)との延長18回、0―0引き分けの名勝負では25三振を奪い主役となった。決勝までの6試合で83奪三振は今も破られない燦然(さんぜん)と輝く大会の大記録だ。
例えば、尾崎正司(元・西鉄→プロゴルファーの尾崎将司)、64年センバツ、初出場初優勝の海南のエースで四番。優勝候補無印の初出場校を3試合連続完封など投打にわたる活躍で頂点に運びプロの注目を浴びる存在となった。
例えば、池田の畠山準と水野雄仁、共に胴上げ投手、それぞれがその大会のひとりエースとして2人で夏春の2季連続優勝(82年選手権、83年センバツ)、2年連続ドラフト1位(82年畠山=横浜、83年水野=巨人)に指名される逸材ぶりを発揮した。まだまだ個人の名前は上げられるが徳島が誇るチームとしてのビッグネームを紹介したい。
とびぬけた打力のチームはニックネームで呼ばれる。主にマスコミが名付けるがこれはチームとしての栄冠だ。徳島には2校ある。〝渦潮打線〟と〝やまびこ打線〟だ。
サラッと紹介したがニックネームを拝した打線は全国でも希少だ。2校の他にすぐに思い付くのは北からヒグマ打線(北海道・駒大岩見沢)、黒潮打線(千葉県・銚子商業)、牛鬼打線(愛媛・宇和島東)くらいのものだが徳島県に2校あるのは驚きだ。